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○表題名称

山王日枝神社

○提示資料名

日枝神社案内板
○説明
御祭神、由緒等の説明がなされています。

  日枝神社
 鎮座地
東京都千代田区永田町二丁目十番五号、世に山王台又は星が岡の
古称がある。
 御祭神 御神徳
大山咋神(おおやまくいのかみ)、相殿神は、国常立神・足仲彦尊
伊弉冉神の三柱、
主祭神の神□は、
須佐之男神-□□神-大國御魂神
              御年神
              大山咋神-別雷神
「古事記に「亦の名は山末之大主神、此神は近淡海国の日枝山に
座す。亦葛野の松尾に坐し鳴錨を用うる神也」とある。大山咋神は
山・水□を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育
を守護し給う広大な御神徳は、山王の尊称に即して、比類のない
人類の生命を司り給うこと如実である。
 御由緒
江戸山王の始元は□に鎌倉中期に遡るが、古記社伝によれば、
分明十年(一四七八年)太田道灌公が江戸の地を稲して築城するに
あたり守護神として川越の山王社から勧請した。やがて徳川家康公
江戸入城に際し荒漢たる武蔵野開拓の要衝の地として、此の城祠
に国歌鎮護の基を定めた。歴代の将軍世嗣子女および諸大名の参詣
が絶えず、やがて万治二年(一六五九年)将軍家綱は、天下泰平、
万民和楽の都を守護する祈願所を建立し奉る大志をいだき、現在地
に結構善美を尽した権現造り社殿を造営した。明治元年東京□都に
あたり勅使奉幣の上、勅祭神社に准ぜられ、明治十五年官幣中社に
更に大正四年官幣大社に到せられた。
 大戦後のご復興のあらまし
万治二年の造営の社殿は、江戸初期の権現造りの代表的建物として
国宝に指定されていたが、昭和二十年五月に戦禍に遭い焼失した。
戦後の神社神道は、大変革を余儀なくされ、混沌たる社会情勢の
中で、復興事業は困難を極めたが、氏子崇敬者の赤誠奉仕により
「昭和御造営」の画期的な大業が企画された。昭和三十年六月
本殿座祭□行、引続き神門、廻廊、参集殿等が逐次完成、更に
末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで竣工し、
全部をあげて之を慶□し、昭和四十二年六月奉祝祭が先ず□行され
この間、昭和三十三年六月現社地御鎮座三百年祭が執行された。
昭和五十二年七月江戸城内御鎮座五百年奉賛会が結成され、五百年
を祝する式年大祭を□修し、昔をしのぶ天下祭にふさわしい山王
神幸祭の復元、尚記念事業として、「日枝神社史」の刊行、「宝物
収蔵庫」の建築、本殿以下社殿の修繕、境内整備等が計画されて
着々実施され、昭和五十三年六月十五日の吉展を卜し五百年大祭が
厳粛に行われ、更に昭和五十四年六月十三日、宝物収蔵庫の建設
という有終の功竣つて、日枝神社御鎮座五百年奉賛会事業達成
感謝奉告祭を極めて意義深く執行し、朝野多数の御参列を
賜りました。

○提示資料

 

○地域・場所

東京都

○内容分類

宗教-寺院

○時代・年

 

○索引語

宗教,寺院,東京都,山王日枝神社,案内板
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